6月3日金曜日の夜に東京を出発し5日の夜中に帰って来る日程で、
宮城県南三陸町の歌津に災害ボランティアに行って来た。
仲間5人で自動車に乗り合わせ、テントなど一式もって被災地へ。
南三陸町の歌津は被災地の中でも復旧が遅れた場所で、
ボランティアもテント村暮らしが基本になっている。
今回はRQ市民災害救援センターから応募して現地へ向かった。
RQを選んだ理由は、震災当初から旅仲間の多くがボランティアに参加していたり、
以前、代表を務める広瀬さんの講演を聞いて共感をした経験もあり、
自分としては一番身近なボランティア団体だったからだ。
被災地では、道路沿いの斜面にある漂着物の整理を行った。
「これより先 津波浸水想定区域」という標識がなぎ倒された場所周辺を整理した。
海岸線から200mくらいの場所。
道路沿いを走ったところ、それより遥か先まで津波が浸水していた。
漂着物には、家の材料だった木材、布団、食器、お土産の品々など、
人々の生活の道具が秩序なく折り重なっていた。
時々発見される、被災者の思い出の写真やアルバム。
人々の幸せだった瞬間、輝くような笑顔がそこに収められていた。
自分の様な赤の他人が、このようなかたちでこの写真を見てしまう事にためらいを覚えながらも、
目の前に写った人々がどうか無事でいて欲しいという思いを抱きながら黙々と作業を続けた。
歌津の港にある神社と被災した建物。
ボランティアによって神社の参道がきれいにされていた。
被災地は広大。
整理された場所はまだまだ一部分だった。
被災した人々が粛々と身の回りを片付けていた。
86日経った時点。
家族総出で取り掛かっても一軒の家を片付け終えるのには、
まだまだ時間が必要に見えた。
被災地が復興に向かうには、
まだまだ途方もないほどの、膨大なエネルギーが必要だ。
日本は電力問題を除き、少しずつ日常を取り戻しつつある。
3月11日の震災がどれだけ甚大なものだったのか、
テレビの映像だけでは伝わらない。
津波被害の甚大さと人々の苦労を現地で心に刻み込み、
被災地への思いを忘れずに継続的に支援していこうと思う。