Map of days

デザイン探検家の記録

冬の富士詣 その1(富士吉田から5合目まで)

1月8日から10日までソロで冬の富士山に行って来た。

富士吉田駅からの富士山
富士急行富士吉田駅は2011年夏に富士山駅に名前を変更予定)


ソロと言っても一緒に行く予定だった仲間が行けなくなったので、
予てより計画していた内容を変更する柔軟性が無く、
思い切って一人で行くことに。


初詣で行った高尾山から富士山が曇りで見えず残念な思いをして、
初夢にある縁起物の「壱富士、弐鷹、参茄子」富士を間近で拝みたかったから。


当日は12時頃富士吉田駅に着いたので、
時間的に駅から歩くのは断念しタクシーで登山のスタート地点である、
0合目の馬返しまで向かった。



タクシー料金は富士吉田から馬返しまで3590円なり。約所要時間は20分くらいか。




馬返しで準備をして、13時頃から歩き始める。


歩き始めるとすぐに鳥居が現れる。


ここは狛犬ではなく、お猿さん。

佇まいは謙虚ながら厳か。


すぐに一合目。

歩き進めると、うっすら雪が地面を覆い始める。


またすぐに二合目。


雪の上を照らす木漏れ日がキラキラきれいで
一人森の中にいるとはっとするような瞬間がある。


進むと三合目。
雪は10センチくらい積もっているが、
ほとんど凍っていないのでアイゼンは不要。


古い小屋の跡。
昔の富士講が盛んだった頃、繁盛したであろう形跡が残る。
廃墟マニアにはたまらないであろう、時間が止まったような感覚。





昔の富士詣のころは、浅間神社から出発し馬返しを経由して登ると
丁度この辺りで昼をむかえたため、茶屋が繁盛していたという。
1964年に富士スバルラインが開通して五合目まで車で登れるようになると、
この馬返しから五合目までの登山道は廃れていったそうだ。




四合目をすぎるあたりでは、結構雪も深くなってくる。
それでも20センチくらい。今年は雪が少ないとタクシーの運転手さんが言っていた。
この時期は通常なら馬返しで雪が積もっているそうだ。




15時過ぎに五合目佐藤小屋に到着。
小屋で水を分けてもらい脇にテントを張る。

5合目からの景色。
富士山は独立峰だから眺めは見通しが良い。



佐藤小屋のひとは親切でいい人だった。
でも、、、、今日は風がないからどこにテントを張っても大丈夫よなんて言っていたが。
夕方にテントを張ろうと思ったら風が。。テントを張るのに一苦労。
結局、夕方に風が吹き始め、夜になって自分が今まで経験した事が無いような強風。
以前ゴールデンウィーク北アルプスの蝶が岳山頂でテントを張った時、
テントがバタバタと強風でたたかれて夜怖くて眠れなかった。


今回はその時の自己経験を更新した。
夜中にテントがめくり上がってペグを何度も打ち直す事になろうとは
この時は思いもしなかった。


後半に続く。(5合目から山頂を目指す)

新しき春の高尾山トレラン初詣


謹賀新年
駆け上がって、見えた景色は曇りでがっくり。
富士が見えんじゃないか!
ええぃ、ここで一句。
『見えぬなら描いてみせよう富士の山。』


平成23年元旦。
高尾山に初詣を兼ねてトレイルランニングに行って来た。
身体を動かさないと、頭で考えてばかりで、家にいても何もはかどらないから。


山頂までいつもの稲荷山道を駆ける。
空気の冷たさか、日頃の運動不足か、気管がぜぇぜぇ息が切れて苦しかった。
山道を走りながら新年の抱負でも考えようと思っていたが、
苦しさで登りはそれどころではなく、何にも考える事無くとにかく前進するだけ。


でも思った。
苦しくて前に進めなくなったら休めばいい。


ここで行動しながら感じた事が抱負になった。


『攻める。可能な限り攻め、走る。息が切れたら休む。そしてまた走り続ける。』



登りは走れるくらい人もまばらだったが、
山頂について一号路を下り始めると
ケーブルカーとチェアーリフトから初詣客どんどん来る。

天狗も今日は一段と誇らしげ。




さすがに人が多い。
走るのは無理なので人の流れに身を任せる。



途中、ごま団子で腹ごしらい。
身体を動かすと、お腹がすくから香ばしくて、ほんのり甘くて美味い。



新年もいい形をしていたたこ杉。


昼過ぎの14時頃から登り始めて、
途中休憩も含めて16時20分くらい下りて来た。


今年の山初めは高尾山。
普段の生活で一番身近な山からスタートという事で、
地に足をつけて、着実に前進したいと思った新年初トレランでした。

鷹取山クライミング


11月21日、鷹取山にクライミングに行って来た。


厳冬期極北カナダを単独で数千キロという旅を続けている超ストイックな某冒険家の指導のもと。
若い頃はかなり先鋭的なクライミングもされていたので、ロープワークや道具の使い方などスピードと正確さはさすが。
ビレーが追い付かないくらい、登るのも早い。


仲間でお菓子などを食べながら、わいわい登っては休みを繰り返しピクニック気分。


岩の上まで登ると下の街の景色がよく見えて、結構な高度感。


腕がパンパンになりながらも、
やっぱ外で遊ぶのは良いなぁと思った。


鷹取山は都心から比較的簡単に行けるクライミングポイントなので
まめに行って腕を磨きたいところです。

18.92GBのデータ  ある美大生の全仕事


【学生時代のMOdiskの山】


昔のMO Diskを整理した。
学生時代の課題で作ったプレゼンテーションパネルなどのデザインデータ。
当時のMOドライブはmac os9.0環境対応だったので、今持っているmac os 10環境では使えず,
かといって昔の思いが詰まっているので、あっさり捨てる事も出来ず、
引っ越しの度にMOの山を押し入れに突っ込んでいた。



合計42枚 



片付けたいと思いつつ、なかなか出来なかった。
今年夏頃、MOが使える学生時代の級友にお願いして、
データをポータブルHDDに移管させてもらった。
日曜日で昼過ぎから取り掛かったが夕方までに終わった枚数はたったの6枚。
1枚30分くらい時間がかかって全然終わる気配がなかった。


残り36枚を友人が時間を見てやっておくよと言ってくれ、
その言葉に甘えてMOとポータブルHDDを預けていた。
それで先日、「年末になってごめん、出来たから届けに行くね」と連絡があった。
こちらこそ面倒な事をお願いして申し訳ないという気持ち。


帰って来たMO disk36枚。
HDD内に移管されたデータを見ると確認すると「合計18.92GB」だった。
入学から修士までのすべてがこの数字。


今の時代ハイヴィジョンでムービー保存など基本なのでHDDが1TBとか当たり前。
長い学生時代の全てがたった18.92GBだったとは、思いのほか少なくて驚いた。
現代の映像系学生だと一つの作品ですぐに18GBくらい超えてしまうだろう。



【大学一年生の時のポートフォリオのMO】


1998年、大学1年生のポートフォリオのデータ。
友人がウィルスでデータ移管出来なかったと知らせてくれた。
思えば友人と知り合ったのも12年前になる。
入学してから初課題で一緒になった時の事を思い出す。
僕が窓際の席についていたら、後ろから声をかけてくれた時の事。
あれから干支が一回りしてしまった事にびっくり。



作品の完成度は高くはないけど、
大学生になったばかりで夢を胸に抱きながら
ひとつ一つ考えながら作った証がこのデータたち。


データの容量と思い出の大切さは比例しないものだなと思った。

名医の資格 海老原敏先生にまなぶ

私ががんなら、この医者に行く 最新版

私ががんなら、この医者に行く 最新版


先日、三笠宮さまが中咽頭上皮内がんで手術を受けられたという報道があった。

三笠宮寛仁さま(64)は14日、入院先の杏雲堂病院(東京都千代田区)で、中咽頭上皮内がんの手術を受けられた。

記者会見した執刀医の海老原敏・同病院院長によると、手術は約1時間40分で無事終了した。
内視鏡を使って喉の粘膜2か所を切除した。

 寛仁さまががんに関連して手術を受けられたのは12回目。
今回切除したのは場所や時期を変えて出てくる多発性のがんだが、発見した部分は予定通り、切除できた。発声したり物をのみ込んだりする機能にも配慮したという。

 術後の経過について、海老原院長は「すでに目覚めておられる。のみ込んだりする時、痛みがあるが、10日から15日で退院できると思う」と話した。

(2010年12月14日20時19分 読売新聞)


 三笠宮さまの執刀医として数々の手術を担当されてきたのが記事にも出てくる海老原院長。
実は海老原先生は、私の父が定期的に診察を受けている先生で、
私も父に付いて開業間もない頃の「がん相談 蕩蕩」に行った事もある。
当時はまだスタートしたてで、院内の本棚はまだほとんど埋まってなく、
カルテがわずかに置いてあるくらいだった。
私の父は15年ほど前に、喉頭がんを煩い
(追記、現在は基本的に完治しているが、一応再発予防のため定期的に診察を受けている)
国立がんセンターの呉病院に行ったのが縁で海老原先生を紹介して頂いたようだ。


 海老原先生は三笠宮様の執刀医として、また首頸部がんの専門家として、
マスコミでもよく見かけるし、医師として地位や名声は高い人だ。
普通に考えたら、先生の診察を受けるのに沢山の患者さんが日本全国から集まってくるだろう。
ところが皇族の人だけでなく、父のような一般市民の面倒も診て下さる。
しかも、名誉ある人なのに謙虚な姿勢、人柄は非常におおらかで優しい印象。
父もとても慕って尊敬している様子。
病院を移動する時に先生の自動車に乗せてもらったと嬉しそうにしていた事もあった。
先生は患者として一度診た人は最期まで看ると言うくらいの器の大きさを感じる。


 本当に良い医師とはどんな医師なのだろうか。
以前、風邪を引いて病院に行った時など、医師の対応の悪さにあきれる事があった。
高熱が出てしんどいなか、ぼんやりとした意識のなかで診察を受けていると、
受け答えがおかしかったのか、薄ら笑いをうかべながら問診をする医師など
患者の気持ちを考えない対応に、どうしてこんな人が医師になったのだろうかと思うような事もあった。



 海老原先生の著書「私ががんなら、この医者に行く」には先生が若い頃の様子も描かれていた。
先生は耳鼻科医として働く傍らで、麻酔医としての側面もあり、
そうした多忙な環境のなかで診療科の垣根を越えて数多くの手術を見てきたこと。
若い頃のそうした経験が後々自身が執刀する時に役に立っているという事。
自分のキャリア形成に関する考え方も参考になった。


 お金や名誉のためだけでなく、社会への責任感や患者への思いやりで仕事をする人。
自分にしか出来ない医療行為を提供し、それを求める患者は分け隔てなく受け入れる姿勢。
そして活動の中心には常に患者がいる。
名医とはそんな人を言うのではないか。


 三笠宮さまのニュースで海老原先生の名前を拝見し、
名医とはどのような人の事を言うのか考えてみた。
意外と身近なところに、本当の名医はいるものです。

北アルプス 表銀座 雲上のトレイルランニング

7月17日から19日まで、北アルプス表銀座にトレランに行ってきた。

梅雨が明け初日、16日の夜に新宿から夜行バスに乗って上高地へ。
今回のルートは上高地から徳沢、蝶が岳へ登り尾根づたいに
常念岳大天井岳、燕岳、最後は中房温泉へ下山。
荷物は超軽装、15Lトレランバックに3Lハイドレーション、カッパと非常食のみ。
小屋泊まりの計画で軽快山行というプラン。

初日は朝6時前に上高地について、軽く朝食をとりレッツゴー。
まずは徳沢経由で蝶が岳を目指す。

徳沢から樹林帯を登りはじめる。
ここで登山者の多くが槍が岳や涸沢方面に向かい、
蝶が岳方面への登山者はぐっと減る。
静かな山行になる。

樹林帯を登りきると蝶が岳の山荘が見える。
2009年のゴールデンウィークにはまだまだ雪山だった。
雷鳥も冬毛だったけど、すっかり夏山になっていた。
標高2700Mの5月と7月の差は大げさに言うと冬と夏くらいの差がある。

蝶が岳の小屋で昼食。今回は荷物を減らすため外食もフル活用。

食事を終えて常念岳方面へ尾根歩き。
ここからは気持ちのよいトレイルが続く。しかし途中から雨が。
雷が鳴る中、尾根を進む。


雨で途中停滞し、夕方近くに常念岳頂上。


雨は嫌な事ばかりではない。
常念岳山頂ではブロッケン現象が見られた。
自分の影に後光が射し、まるで大日如来にでもなった気分。


雨に打たれて、体力を消耗したせいか頂上でゆっくり。
前日のバスでほとんど眠れなかったせいか、うとうとしてお昼寝。


5時頃に常念小屋到着。


さすがに夏はじめの三連休は人がたくさん。
最近は山ガールブームもあり、若い女性のパーティーも良く見かける。

空と雲のきれいなこと。


翌日は初日とは違い、のんびり山行。
時々走って時々写真を撮って。
昨日の雨が空をきれいに洗ってくれた。
澄み切った空気、まぶしい夏の太陽と空。



尾根から見えた涸沢カールはまだまだ雪。



トレイルにも時々雪は残る。
トレランシューズなので慎重に横切る。



コマクサも花を咲かせる


お昼頃に大天井の山荘に到着。

カレーとナンのランチ。これはとっても美味しく、レベルがかなり高い。


気持ちのよい雲上のトレイルが続く。

なだらかな尾根はトレランにぴったり。
膝への負担も無いし、景色は刻々とかわっていって飽きないし。
風も心地よく、空に向かって走っているよう。


北アルプスの女王といわれる燕岳。
気品に満ちて美しい。
石と砂と緑のバランスがどこを見ても美しい。
庭園の中にいるような気分。


夜の燕山荘の写真

ここは大きな山小屋で何百人という人が泊まれるそう。



翌朝、4時頃一番のりで燕岳山頂に行く。
じっくり空が明るくなって行くのを待つ。


刻一刻と変わっていく空の色、日の明るさ。
シンプルで美しいものだけに包まれるいる幸せ。
自分の日常もこうであれば良いのに。



燕山荘を後にし、一気に中房温泉へ駆け下りた。
山で疲れた身体を温泉に入って癒し、かき氷を一杯食べた。


海の日だったけど、山も最高だった。
テント等を持たない軽装登山は少し不安だったけど、
身軽なぶん、山を眺めたり写真を撮ったりする余裕ができる。
でも山では大きな荷物を持つ登山者が少し羨ましくも思えた。
どちらが良いかではなく、どんな山旅を指向するか。
その時々で選べるのも楽しい。


ちょっとお金はかかるけど、
山小屋などをフル活用する軽快トレラン山行は、
山を満喫するための一つの可能性だと思った。

高尾山 春の快晴トレラン

何かをしなければ損した気分になる、そんな一日。


4月25日の日曜日は快晴とても気持ちのよい天気だった。
夕方、あまりにも気持ちがいいので、いつものように高尾山トレランに行ってきた。


高尾山口駅に16時半頃ついて早速走る。
17時15分頃山頂に着く


夕方の空がとてもきれいだった。

山頂はまだ桜が残る

山々が遠くまで見える。


夕暮れがあまりにもきれいで、遠くの山々をみていると
腹の底から「やっほー」と叫んでみたくなる。
やまびこは返ってこない。


山頂にはまだまだ人がたくさん。


少し恥ずかしいかなと思いながら、
今年はバカになってやりたいことをやろうという抱負を思い出す。



ヨシッと、
もう一度大きく息を吸い込んで、腹に力を入れて、腹の底から、
「やーーーっほーーーー」
と大きな声で叫ぶ。



そうすると、
女性の声でやまびこが返ってきた??



僕のやっほーを聞いた人が応えてくれたみたい。
意外なやまびこに、少しの驚きと少しうれしさが混ざる。
バカになってもう一度叫んで良かった。


小さなことながら、
一歩踏み出すと相応に返ってくるモノがあるものだなと
こんな些細な出来事から学んでしまった。



夕暮れ少し肌寒くなる前に、
一気に駆け下りる。


途中都心方面の空もきれいだった。
「都会の空は狭いのですか?智恵子抄
 ここから見える都心の空はとても広く見えます。」


30分で駅に着く。
日の暮れた空にはつばめ達が舞う。
ついこの前まで冬だと思っていたら、もうすっかり季節が変わった。


初夏のような一日だった。